雑記

ネタバレの配慮なし。人生楽しくしたい人。日々思った事を書きます

DDLCをクリアして思った事

自分のアカウントのふせったーで吐露していたものに、更に追記して文字数制限を超過したものになります。

 

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※自分とキャラを重ねて世界に入り込んでいる訳ではなく、あくまで自身の経験や調べた事に基づいて「作り込まれているなあ」という只の与太話です 

スペシャルエンドまでのネタバレが容赦ありません 


サヨリ

いつの間にかもの凄く好きになっていた。

好きになった要因は色々あるけど、恐らく2つの意味で「トリガーキャラ」だからってのが大きい。あとは本当に「うつ病患者」として心情がリアルに描かれている点。 
サヨリが文芸部に誘ってくれなかったら、サヨリが「消滅」しなかったら、このゲームは「終焉」を迎えられなかったでしょう。act1の始点であり終点である人物。 
うつ病患者、または抑うつ状態の人間って、人がいる所では楽しそうに振舞うことが出来るけど、一人になった瞬間に何も出来なくなるケースが多い。本人も言ってたけど「朝に起きられない」のも、多分一人になったときの何も出来ない状態を引きずっているから。部屋が片付けられないのも、無気力状態であり、片付ける事に意味を見出せないからじゃないかな。

喪失感のある日々を過ごすのって本当に生き地獄で、「これは自分に与えられた罰だ」と諦めながら生きている人、少なくはないと思う。サヨリも同じようなメッセージを言っていた記憶がある。

そんなサヨリの唯一の糧が「文芸部の仲間たち」と「幼馴染の主人公」との楽しい予定だったから、彼女は頑張って学校に行けたんだと思う。 
彼女の本当の願いは「自分が楽しいと思っている事を共有して、みんなで更に楽しく過ごしたい」って感じだったのかな。 

ゲーム中では頑なに「自分の事はどうでもいい」と言っているけれど、サヨリだってその輪の中に入って楽しく過ごしたかったんだなって言うのはact4の最後の台詞から察する事が出来る。

例えば(サヨリをおざなりにして、またはサヨリの真の願いを聞かずに)コンプせずにノーマルエンドに行くと「文芸部部長」の権力を振りかざそうとする。これって多分、本当は自分の事も見て欲しかったし、みんなとも仲良くして欲しいっていう思いから来ているんだと思う。 
スペシャルエンドでは「願い通りにみんなと仲良くしてくれてありがとう」って言ってるけど、スペシャルエンドの条件はCGコンプであり、サヨリとも仲良くして「恋人になる」選択をする事でもあるから、このサヨリの「お願い」は確かにもの凄くワガママだし、難しい要求なんだけど、彼女の願いを叶えた事で、「文芸部部長」と言う立場になっても、モニカとは違う道を選んでくれたのかなって思う。

恐らくact4でモニカの事を覚えているのはサヨリと、主人公ではなくて「プレイヤー」の2人だけなんだろう。

ここからは私の「そうだったらいいな」って妄想なんだけど、それを知った上で誰にもその事を言わず、モニカの分まで文芸部の部長として居心地のいい「文芸部」という世界を構築してくれたら……って思ってる。 
あとこれも与太話として……。act1でサヨリが首を吊ったときの指先の血について、モニカはact3で「生存本能が〜」って言っていたけど、結局サヨリうつ病はモニカの行動によって重症に悪化した訳で、サヨリうつ病は本来であれば主人公の行動によって少しは回復するものだったんだと思う。モニカのプログラム改竄さえ無ければ。 
そもそも本当に自殺するまで追い詰められていれば、生存本能が働く事もないと思う(わたしも昔首吊って自殺しようとしたけど、そういった生存本能は働かなかったはず。残念ながら失敗してしまったけど) 
「自らを殺した」という意味ではサヨリの首吊りは「自殺」だけど、死にたくない子をプログラム改竄で「首を吊らせた」のであれば、生存本能が働くのも無理ない。だからモニカの言った生存本能の事は「間違っていない」。 
サヨリは本当は文化祭を主人公と一緒に回るつもりだったけど、そのイベントが消されていて(あのシーンの背後の『ファイルが見つかりません』的なメッセージからして勝手に言ってるけど、実際どうなのかまでは確認出来ていないので、変なこと言ってたらごめんなさい)フラグが立たなくなったサヨリには「消滅」の道しか残されていなかったとしたら? 
イベントは元から削除されたものだったから、告白をしても、サヨリの「雨雲が晴れなかった」のだとしたら? 
act4のノーマルエンドで、サヨリは「モニカちゃんを消してくれてありがとう」と言うけれど、これはプログラム改竄によって重度のうつ病に苦しんでいた事を思い出して、原因がモニカだったこと、そしてモニカのしていた事が「文芸部部長」になって判明した事から来る言葉なんじゃないかな。 
私個人はサヨリが一番好きと言うだけで、ナツキもユリもモニカもみんな個性的で好きだから何も言えないけど、ノーマルエンドのサヨリは多分めちゃくちゃモニカの事を憎んでたと思う。 
終わり方的にはノーマルエンドもスペシャルエンドも納得の行くものになっているけれど、プレイヤーである私の感情を出してもいいのなら「モニカの事を覚えている人物がいて」「act1で悲惨な目に遭ったサヨリに、act4の最後で心からの感謝の言葉をかけてもらえる」スペシャルエンドが好きです。

 

ナツキ

見た目だけであればめちゃくちゃ好み。唯一酷いプログラム改竄をされていなかったように見える。または干渉を受けていなかったのかも知れない。一貫して良い子。

唯一酷い干渉を受けなかった分、act2では一番苦労していたと思う。周りの友達がおかしくなってしまって、頼れるのが入部して数日の主人公だけ。結局助けを求めても、モニカには全てお見通しだったのだけれど。

言葉の端々やモニカの発言、特別な詩から推察出来るのは、どうやら父親に逆らえない家庭環境みたい?お母さんの事は話さないから、お父さんと二人暮らしなのかな。 
他の詩やナツキの行動信念を含めて、わたしなりにナツキのお父さん像を考えたんだけど、ほとんど妄想だから流して欲しい。 
ナツキのお父さんは、普段は真面目に働いている人なんだと思う。ただナツキにお小遣いをあげられる程の稼ぎがなくて、それが悩みで多少アルコール中毒の気があるのかも知れない。外では真面目な分、家の中では感情的になるとナツキに八つ当たりしてしまう面もあるのかも知れない。そんな葛藤があって、たまにナツキの為にご飯を作ってあげたりするけど、全て食べてもらえないとやはり手が出てしまう。本人もそうしたい訳ではないと思うんだけど。 
あと、マンガを読むナツキを否定するって事は、ナツキには沢山勉強して、将来的には良い職業に就いて欲しいって願いからなのかな?歪んだエリート思考のように思える。 
ナツキは「唯一の居場所が文芸部だ」って言ってたけど、趣味を肯定も否定もされずに落ち着いて実行出来る場所があるだけで、彼女の心の安寧は保たれているのだと思う。強い子だなあ。

 

ユリ

act2でプログラム改竄の干渉を受け、酷い誤作動を起こしてしまった子。

他の人がユリの事を「ヤンデレ」と称するのを、わたしはあまり好まない。本来の彼女は文学への熱い情熱を秘めた博識な子で、少し引っ込み思案な性格なだけ。 
自傷癖についても「自己を抑える為」で、そういう意味合いであれば少し分かる。わたしも未だに「他人や物に八つ当たりするくらいなら自分が傷付けばいい」って思ってる。あとは一番手軽で身近な自殺防止手段。 

自傷についてはact1でも少しその気は出ていて、act2で明らかになった「興奮すると自傷する」というトリガーについては、まだ理解が及ばないから、勉強不足だなと思ってる。 

ただ、どうしてもユリの事を「ヤンデレ」とは呼びたくないし、ナツキの事も本当は「ツンデレ」の一言で片付けたくない。 
主人公は「ナツキとユリは似ているところがある」って見抜いていたけど、結果的にact4で和解した時は私も嬉しかった。 
act2でのユリの自殺については、他の人も言っている通り「ハイになりすぎた結果」だと思うけど、普通は自傷行為は自己をセーブする為の物であるから、自殺に及ぶほど改竄及び干渉を受けていた、と言う事を表面的に(過激な手法で)分からせてくれるキャラだよね。

サヨリは内面が重症化していたから最初の内は気付きにくかったと思うけど、不穏な空気が途中から漂ってくる感じ。

ユリはact2に入ってから明らかに「前と違う」って目に見えて分かる。「元々こんな子じゃないのに、こんなに改竄されて可哀想だな」って思った。

何度でも言うけど、act2のユリが全てではない。強烈なシーンだから「ヤンデレ」って言われるのも仕方ないのかもしれないけど……私はDDLCの登場人物のこと、そう言った一言で片付けたくないです。

 

モニカ

本人がact3で言っていた通り「理解出来ない事が多すぎる存在」。 
何故かモニカも「ヤンデレ」の括りに入っている事があるんだけど、私はやっぱりそれは賛同出来ない。 
どうすれば彼女の事を少しでも理解出来るかなと思って、act3では長い時間彼女の話を聞いたりしたし、出来るだけ一緒に居てあげたかった。でも「キャラクターファイルが無事かどうか」を頻りに確認してくるから、これは遠回しに「サヨリ達を消去した事に罪悪感を覚えているから、プレイヤーにファイルを消して欲しい」と言うモニカの願いなのかと思った。 
ファイルを削除して「反吐が出るからもう来ないで」とまで言われたのに「それでも好き」と告げるモニカの心情は、元からプログラミングされているものが動いてしまったのか、彼女の本心なのか。 

act4の世界にモニカを入れようとすると「戻りたくありません。私の心を弄ばないで下さい」って言われるから、本心なのかな。

「文芸部員全員に主人公への好感度が設定されている」はずだから、例外に当たるモニカには主人公・及びプレイヤーを嫌うことだって出来たはずなのに。

……結局「文芸部部長」って、どういう立場なんだろう。act1でのモニカの立ち振る舞いからすれば、いわゆる「お助けキャラ」に収まってしまうのかな。好感度を把握するために様々な能力が付与されるのだろうか。 
モニカは「お助けキャラ」の位置に収まりたくなかったから、製作者の意思に反した行動を起こして行ったのかな。 
そんなモニカの行動はゲーム的に言っても「衝撃」だし、沢山のプレイヤーに強烈なイメージを植え付けたと思う。 
「文芸部部長」ではないモニカの事を、もっと知りたかったな。

(追記:ノーマルエンドの手紙の事思い出した。モニカは「文芸部」及び「その部員たち」が大好きで、この世界にも幸せがあると思って頑張ってきたし、逆に意思を持ってしまった自分が消えれば幸せな文芸部が訪れると思ったんだよね。

でもサヨリが「文芸部部長」になって権利を振りかざした瞬間、モニカの残留思念(と思われるもの)が「このゲームはそういう仕組みになっていて、誰も幸せになれない」と「二度目の悟り」を開いたのだと思ってる。

大切なものを守る為に、全てのものを消去するモニカの決意や心情は、想像するのは難しいというか、あまりにも残酷だからしたくない。)

 

主人公

表面的にはプレイヤーの分身であるけれど、俯瞰して見ると彼も操り人形であり、充分酷い目に遭っている事が分かると思う。

 (追記:他の方の感想で「サヨリの自殺の一件は主人公が悪い」という意見をよく見かけるけど、私は「主人公もモニカにある程度操られていたんじゃないか」と思ってる。

元々改竄された世界で選択肢を削られて、プレイヤーが疑問に思うほど、行動にも違和感がある。だって文化祭前日までは躊躇いながらもサヨリの部屋に入って行けていたのに、あんな約束もしたのに、翌日になったら「全て忘れたように」行動している。結局その日最初に会った子はモニカ。

……なんとなく、彼女が絡んでいて行動に何らかの制限が掛かっていたように思えるのは考えすぎかな?)

act2以降、主人公の口数が少なくなっていたのは、バグによるもので「対応しきれなかった」からではないのかな。 
固定イベントの時は喋ったり感情があったりするけど、明らかにユリの自殺シーン以降、彼も心を喪失していると思う。

台詞もない、心情ではなくて情景描写のみである事からの推察なんだけど。

結局「主人公」もまた、選択肢や好感度などの特別な権限が与えられたNPCである……と考えてみると、もしかしたらact2で突然視界がバグのようになっているのも、「相手がバグっている」のではなくて「主人公側の視界がバグっている」とも取れる気がしてくるんだ。

スペシャルエンドに関して、act1での主人公の頑張りは私たちプレイヤーの頑張りでもあるけれど、サヨリの幼馴染で理解者であり、ナツキと同じ趣味を持ち、ユリの様に本当は熱い心を秘めた彼だからこそ、みんなと仲良く出来たのだと思うよ。 
……そこまで大切ではない人の指を舐めて勘違いさせるのは、そう言う設定なのか、これも改竄が加えられていたのかは、モニカのみぞ知る事なのかな。

 

文芸部


サヨリにとっての文芸部は「みんなが仲良く出来る楽しい場所」 
ナツキにとっての文芸部は「何人かの理解者、あるいは友達と落ち着いて過ごせる唯一の居場所」 
ユリにとっての文芸部は「文学への熱意を表現でき、才能を発揮して認めてもらえる場所」 
モニカにとっての文芸部は、言葉では表現できないけれど、彼女にとっては「なくてはならないもの」であり、「世界そのもの」である事が窺える。 
タイトルが「文芸部」である事から、主人公含め全キャラクターが「文芸部」と言う構築された世界から出る事は無くて(イベントや帰宅時には「部室からは」出るけど、ベースとしては「文芸部の活動」があるし)私達は「その世界」のキャラクター達しか知らない。 
モニカは「文芸部以外の世界を知っているプレイヤー自身に興味がある」と言っていた。act3で、こちらからも私達の世界の事を話せる様になっていたら……なんて夢想に耽る。 

さっき「文芸部部長」という立場ではないモニカに会ってみたかった的な事書いたけど、出来ることなら「文芸部」と言う世界から飛び出した彼女たちの一面も見られたら嬉しいと思う。

1人のユーザーとしての要望だから、実現はされないと思うけど。それでも可能性があったら……と思って、ファンパックでお布施したよ。グッズもいつか、日本国内で買える日が来るといいな。 

 

追記:実はDDLCをプレイした時、私は精神的にあまりよろしくない状態だったんだけど、以前にさよ教やスイプをプレイした時も正直言って同じような状態で、今までの経験から「プレイする余力があるだけまだマシ。その後の余韻が心地良いものになるはず」と思って一日でコンプしました。

スイプも結局丸二日くらいかけてコンプしたなあ。

多分「そんな状態だったからこそ」強く印象に残ったゲームで、私個人はそこまでダメージを負ってないです。

ちょっと今は色んなトリガーがあって無気力になりかけているけど、DDLCの事を考えていると少しだけ気力が出てきます。

ふせったーにこの文章の補足無しの物を上げた時、某フォロワーさんに「暴力的な精神治療みたいなゲーム」と言うリプライを頂いて、まさしくそれだと思いました(文字数の関係でリプライに書けなかったけど、今ここで同意させて頂きます)

ちょっと荒療治だけど、自己の経験と重ねてみると、なんとなくセラピー的な効果がある……そんな感じです。メッセージ性が強烈なので、人に合う・合わないがあると思いますが……私より重いうつ病に悩んでいる実の弟も「良いゲームだった」と言ってくれました。(言い忘れていたけど、私は自律神経失調症で不眠が重いタイプで、抑うつ的な症状は普段そこまで酷くないです)

……もしこの記事をここまで読んで「自分は大丈夫だろうか」と躊躇してプレイに踏み切れない精神疾患のユーザーさんがいらっしゃるのなら……ご自身の精神状態をしっかり確認して、しっかりとゲーム最初の文章を読んで下さい。私は只の精神疾患患者でありゲームユーザーなので、無責任な事は言えません。